孤独死の問題に応える公的社会教育―ユートピアかディストピアか―

 昨日のブログに、以下のご意見が寄せられた。

 残念ながら、お膳立てをしても男性は来ません。男は、自分が偉そうにできる場(例:会長になることができる女性メンバーが多いサークル、自分より職歴や学歴が劣る者の集い)しか来ません。八十過ぎの爺さんが、今でも若い頃の月給百万の伝票を見せびらかす。一般住居でこれですから、公営住宅の独居男は難しいです。

 確かにその通りです。でも、困難だからこそ取り組まねばならないのが、行政の課題でしょう。「アウトリーチ」、「出前」が言葉だけでなく、その正念場と言えるかもしれません。
 行政まかせもよくない。壁の厚いビルの風通しをよくして、イヤでも外と繋がるようにすることも考えなければ。高度情報化は、そのための鍵になるでしょう。監視社会と批判されようが、イヤでもネットに繋がり、「オイ!、どうした」、「アホ、何いじけてるねん!」などと叱りつける必要があるでしょう。
 あるいはアレクサの類が優しく「ほら、外で気分転換しなさいよ」と促した方がいいかも。それで、ついドアを開け、階段を降り、公園に行くと、おばはんが「まあ、いいとこに来てくれた。ほら、ちょっと手伝って」とバーベキューなんていいですね。
 ものごとには善し悪し両面があるもので、お節介にも命令にも、場合によってよい面があるでしょう。きっとアレクサなどAIと社会教育主事やボランティアがタイアップすれば、、、
 それはユートピアかディストピアか、、、

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この記事へのコメント

みかんぴあの
2019年11月13日 22:24
先生の記事をはじめに見た時に、正直なところ「爺さんは老害の代表なのだから、表に出さなくてよい」と思いました。

しかし、記事内にアレクサの登場をみて、考えが変わりました。爺さんを外に出さないことは、問題を直視せずに逃げているだけに過ぎません。これでは、明るい未来はありません。

確かに私の周りはロクな爺さんがいません。顔を見るのもイヤです。でも、「バーベキューでもどう?」と、おばはんが一歩踏み出すことで時代が変わるような気がします。