慰安婦と兵士の愛と死―限界状況において絡み合うエロスとタナトスの心理歴史的研究―第5章第3節その2(2020/6/24)

第六項 世代を超えて展開する文学のポテンシャリティ
(一)文学全集などにおける位置づけ
 「肉体文学」で話題になったが、田村はしばらくして忘れられるような作家ではない。「戦争文学」としては、『昭和戦争文学全集・3・果てしなき中国戦線』(集英社、一九六五年)に「春婦傳」、「破壊された女」が、『兵士の物語』(大西巨人編、立風書房、一九七一年)では「檻」が、『日中戦争・曠・コレクション戦争と文学』(集英社、二〇一一年)では「蝗」が収録された。また「春婦傳」は『幻の花たち―娼婦小説集―』(吉行淳之介編、立風書房、一九七二年)にも収められた。戦争文学に止まらない文学的な意義が認められている。
 さらに、二一世紀において、時期設定順に「肉体の悪魔」、「蝗」、「渇く日日」、「肉体の門」、「霧」、「失われた男」を編集した『肉体の悪魔・失われた男』(前掲)が出版された。彼の戦争文学が戦後六〇年の歴史の評価に耐えたことが分かる。
 日本文学としてみても『日本現代文学全集・94・北原武夫・井上友一郎・田村泰次郎集』(講談社、一九六八年)、『日本文学全集・67・火野葦平・田村泰次郎集』(集英社、一九六九年)、『日本短篇文学全集・42・丹羽文雄・今東光・井上友一郎・田村泰次郎』(筑摩書房、一九六九年)、『現代日本文学大系・92 ・現代名作集・2』(筑摩書房、一九七三年)、『筑摩現代文学大系・62・田村泰次郎・金達寿・大原富枝集』(筑摩書房、一九七八年)、『コレクション戦争と文学』(集英社、二〇一一年)に作品が収録されており、さらに彼個人の選集では『田村泰次郎選集』(草野書房、一九四八年)、『田村泰次郎長篇小説選集』(東方社、一九五四~五五年)、『肉体の門―田村泰次郎傑作選―』ちくま文庫、一九八八年)、『田村泰次郎選集』(日本図書センター、二〇〇五年)が出版されている。
 「世代のサイクル」でいえば、戦争世代だけでなく、戦後世代、さらにその子や孫の世代にまで読み継がれている。田村が戦後復興、高度経済成長、バブル、その崩壊、再生など変化する時代を超えた人間の存在の本質に迫り、描き出し得たからである。正に田村の文学の意義の大きさの故である。
 関連して映画化についていえば、「春婦傳」は一九四七年に発表されると一九五〇年に映画化され(谷口千吉監督「暁の脱走」)、一九六五年にも再び映画化された(鈴木清順監督「春婦傳」)。小著では考察を控える「肉体の門」は四度映画化され、テレビドラマ化もなされた。
 ただし、これらと原作は異なる作品であり、その批評、批判は監督や俳優に向けられねばならない。また、批評・批判の中には田村の「自分の手もよごさないで、どぶ泥のなかに堕ち込んだ人々を救ひあげねばならぬと、口さきだけで叫んでゐるやうなもの」が適用できる類があると私は見なす。

(二)つかこうへいによる独創的な展開
 つかの田村文学の展開は独創的で、しかも慰安婦を取りあげている。

①「春婦傳」と『娘に語る祖国 「満州駅伝」従軍慰安婦編』の結びの照応
 田村は東方社版『春婦傳』「自序」で「一兵士でなかったひとの戦争小説は信じる気持ちになれない」と述べる。だが彼の「戦争小説」にも「デフォルマション」があり、一概に信じてはならない。そしてまた、戦争を体験しない後進のルポルタージュ戦争文学の意義を認めることも重要である。それはまた戦争文学の継承・展開となり、田村の作品を、より確かに文学史に位置づけることになる。
 田村が「春婦傳」で手榴弾による悲劇的な心中(死)の後で「若い見習士官」の「熱情があふれる訓戒」を叙述したことに対して(書籍ではなく、作品としての「春婦傳」からの引用は『田村泰次郎選集』第二巻、一七二~二一二頁)、つかは『娘に語る祖国 「満州駅伝」従軍慰安婦編』で処刑(死)の直前に「生」へと転換させ、その際にやはり熱誠を以て訓戒した上等兵が韓国人であったと述べる。構成は類比的だが、内容は対極的でまことに創造的(creative)である。とくに「どんな時でも、希望を失ってはいけない」(後述)の意味は、田村文学を踏まえてこそ深まる。
 なお、つかは同時代の子供の「いじめ」にも正対し、それは「ヤクザの喧嘩より陰惨です」と剔抉している(『娘に語る祖国 「満州駅伝」従軍慰安婦編』一一八~一二一頁)。これも的確であり、彼の見識が現れている。

②取材で得た慰安婦の実相
 つかは表題のとおり「娘に語る」文体で書き綴る。彼は「誤解していたこと」として「いろんな人に取材をしたんだけれど、従軍慰安婦の人たちは必ずしも悲惨じゃな」く、「兵隊と従軍慰安婦が恋に落ちたという話もある」と述べる(『娘に語る祖国 「満州駅伝」従軍慰安婦編』一六~一七頁)。また「朝鮮の村のボス」や「女衒というか、仕切っていたのが朝鮮の人間」であるとも指摘する(同前、四七~四八頁)。さらに、台湾の慰安所だが「実際はいい商売で」、「当時の女の子の稼ぎからすると、桁違いに多」かったとも書いている(同前、八三~八九頁。以下同様)。「食い物も何もかも軍隊から来ますからね、裕福だった」、毎週の軍医の「梅毒の検査」、「将校になると営外居住が認められますからね、軍には女中って届け出て。みんなそうでしたよ。そうすると女中の手当てとかもつきますしね」、「戦争が終わると、朝鮮人や台湾人の慰安婦には日本への渡航許可が下りませんでした。ですから連れて帰れなくて心中した軍曹もいますよ」等々とも書いており、その内容は、これまで述べてきたことと符合している。
 そして、つかは取材の中で反戦運動に関わっていた日本兵の池田と出逢い、彼と慰安婦スンジャの愛を聞く(同前、五六頁以降)。だが、それは全うされなかった。

③スンジャと池田―「今日も満州に愛の壊れる時がきた」―
 池田とスンジャの愛の結末について「今日も満州に愛の壊れる時がきた」という表題で、以下のように書かれている(同前、一四九~一五三頁)。

「鬼塚さん独特の、よく通る、ドスの利いた声が響きました。
『池田、何をしてるんだ』
『……』
『脱走する気か!』
 スンジャも私も何も言えず、立ち尽くしていると、
『何のためにオレが駅伝大会を開いてやってると思ってんだ。慰安婦が脱走なんかせんでいいようにやっとるんだ。その気持ちをどうしてわからんのだ』
 周りを兵隊たちに取り囲まれ、私たちは縛られ、木にくくりつけられました。
『知ってるな、池田。脱走は銃殺だと』
『はい』
『いいか、池田、じゃあこういうことにしてくれ。おまえはこの広い満州平原の中で駅伝の最中に便所に行きたくなった。そしてこいつが水を飲みに来た。そして二人で休んでいるところをたまたま、脱走したと思われて誤って銃殺されそうになっているってことにな。それでことを穏便に運んでくれ』
『しかし上等兵殿』
『オレがいつも歌ってるだろう。
 “今日も満州平原に愛の壊れる時がきた。
 見よ、あの真っ赤に沈みゆく美しい夕陽を!!
 あの夕陽に白く縁取りをすれば、日の丸の形になる!!”
 この詩はいい。
 ここんところを汲み取ったならば何か言えるだろう。
 大体なあ、オレたちが何十回も何百回も抱いた女と何してんだ!』
『はっ』
『わからんのか! 第一、兵隊が朝鮮人に、しかも慰安婦なんかと恋に落ちて脱走したなんてことになったら、大日本帝国が根底から揺らぐ!』
 そう言ってガンガン殴られました。
『オレは常々言っているだろう。愛、その次には“に”から始まるあの言葉。“愛憎し”だよ“愛憎し”。
 なあ。その言葉を刻みつけてもう一度何かを言ってみろ』
『上等兵殿』
『池田、いいか。嫌がる女を無理矢理連行し、抵抗したら傷つけ殺し、病気持ちにさせておきながら変な情けをかけた日には、大日本帝国は根底から揺らぐ。この戦争が終わったあと、“あれは狂っていたんだ、だからあのことは仕方なかった”そう言い切らねばならんのだ。それにはな、愛だ恋だを芽生えさすだけの理性などあってはいけないんだ。でなければ、大日本帝国が根底から揺らぐ!!
 そこんとこを汲んでもう一度何かを言ってみろ!!』
『上等兵殿。こいつは可哀相な女であります。朝鮮から慰安婦として連れてこられて、日に三十人も客を取らされて、この女は可哀相な女であります。どうか助けてやってください』
『それは分かってる』
『好きになってしまったのであります。誘ったのは自分です。こいつは悪くありません』
 その時、スンジャが前に身を乗り出し、はがい締めにする兵たちを振り切るようにしながら叫んでくれたのです。
『違う。この人悪くない。朝鮮から連れてこられて、何人も男取らされて、私たちが何した。この人だけが、人間らしく扱ってくれた。自分の時は休めって言ってくれた。この人が死ぬなら自分も死ぬ』
『よし、そうか。撃て!!』
 そう言って、右手を高々と振り上げようとした、ちょうどその瞬間でした。サイレンが鳴り響き玉音放送が流れたのです」
「玉音放送? 終戦ということですか」
「そうです。なんか大騒ぎになっちゃって、そのなかで私はへたりこむようにして地面にしゃがんでいました。ほっとするというか何というか、とにかくただ座り込んでいました。」

 二人は生きながらえたが、その後、結ばれるには到らなかった。池田はスンジャと離ればなれになり帰国・復員した。しかしスンジャを忘れることができなかった。ともに銃殺を覚悟するほど愛しあっていながら、死を免れた瞬間に「へたりこ」み、愛さえ「壊れ」てしまったが、時間の経過とともに悔恨が強まったのである。
 他方、鬼塚は「愛国心の強い、優秀な兵隊で、特攻隊にも志願しようとしていた」「韓国人志願兵」であった(同前、一五三~一七二頁)。彼も敗戦で茫然自失し、同様のスンジャとともに日本に渡り、東京下町でストリップ劇場を経営し、スンジャはストリッパーとなった。だが私生活では二人の間で「何もな」く、それぞれ苦い過去を抱えて生き抜いた。
 結びは「人には、どうしても取り返しのつかない時間、取り返せない事実があります。誰もが後悔してもしきれないものを抱えて生きているのです。/しかし、どんな時でも、希望を失ってはいけないのです」という呼びかけである(同前、二〇〇頁)。そこには悲惨を偉大に転換する弁証法が認められる。

④「人は、人を恨むために生まれてきたのではない」
 さらに補強として、つか自身の発言(文学作品ではない)を取りあげる。彼は「僕自身、従軍慰安婦は奴隷のように扱われていたと思ってたんです。でも、ちょっと違うところがあるなと思って。いくら憎み合っても、極限状況でも信じ合える部分があるという……」、「声高に『慰安婦問題は軍部が』と言うのも分かるけど、それじゃ解決つかないでしょう」、「こういう発言ができるのは僕ぐらいしかいないから。立場として。日本人がこう言うのは難しい。韓国人だからできた」と語った(「秋田さきがけ新報」一九九七年三月二四日)。
 また阿比留瑠比(政治部編集委員)は「一六年前の平成九年にインタビューした直木賞作家で在日韓国人二世でもあった故つかこうへい氏の言葉を思い出す」と述べ、次のように続ける(「産経新聞」二〇一三年六月二四日)。

 当時も慰安婦問題が日韓間で政治問題化していた。そんな中でつか氏は『娘に語る祖国 満州駅伝―従軍慰安婦編』という著書を書くため、元日本軍兵士や慰安所関係者らへの取材を重ねたという。
 「僕は『従軍』という言葉から、鎖につながれたり殴られたり蹴られたりして犯される奴隷的な存在と思っていたけど、実態は違った。将校に恋をしてお金を貢いだり、休日に一緒に映画や喫茶店に行ったりという人間的な付き合いもあった。不勉強だったが、僕はマスコミで独り歩きしているイメージに洗脳されていた」
 つか氏はこう語った。作家の偏見を排した冷徹な目で少し調べると、マスコミ報道とは異なる実態が見えてきたというのである。また、つか氏は自らの当初の「思惑」も「知識不足」も隠そうとしなかった。
 「悲惨さを調べようと思っていたら、思惑が外れてバツが悪かったが、慰安婦と日本兵の恋はもちろん、心中もあった。僕は『従軍慰安婦』という言葉が戦後に作られたことや、慰安婦の主流が日本人だったことも知らなかった」
 現代史家の秦郁彦氏の研究によると、慰安婦の四割は日本人であり、朝鮮半島出身者はその約半数だった。この事実についても、ほとんどのマスコミや左派系の政治家らは気付かないか無視している。
 筆者は一二年一〇月に当時、元慰安婦に一時金(償い金)を支給するアジア女性基金の理事長だった村山富市元首相にインタビューし、こう問いかけたことがある。
 「慰安婦の多くが日本人だったことはどう考えるのか。今後は、日本人も一時金の支給対象とするつもりはあるのか」
 すると、村山氏は「うっ」と言葉に詰まったきり、何も答えられなかった。同席した基金理事が、慌てた様子で「今の質問はなかったことに」と取り繕っていた。
 話を戻すと、つか氏は「営業行為の側面が大きくても、人間の尊厳の問題なのだから、元慰安婦には何らかの誠意を見せ続けるべきだ」とも語ったが、歴史の見方はあくまで公正で透徹していた。
 「常識的に考えて、いくら戦中でも、慰安婦を殴ったり蹴ったりしながら引き連れていくようなやり方では、軍隊は機能しない。大東亜共栄圏を作ろうとしていたのだから、業者と通じてはいても、自分で住民から一番嫌われる行為であるあこぎな強制連行はしていないと思う。マスコミの多くは強制連行にしたがっているようだけど」
 そして最後につか氏が述べた次の言葉を、筆者は今こそかみしめたいと思う。
 「人間の業(ごう)というか、こういう難しい問題は、自分の娘に語るような優しい口調で一つひとつ説いていかなければ伝えられない。人は、人を恨むために生まれてきたのではない。歴史は優しい穏やかな目で見るべきではないか」
 つか氏のような視座が、もっと世界に広がることを願う。

 つかの発言が一六年後に改めて注目されることは、彼の見識には先見もあったことを証明している。また「人は、人を恨むために生まれてきたのではない」は先述の「どんな時でも、希望を失ってはいけないのです」と呼応している。憎悪は暴力をもたらすが、希望は生きる力を呼び起こす。これはエリクソンを援用すれば「人間的強さ(human strength)」であり「徳=力(virtue)」である。
 これが重要なのは、これから田村文学に即して慰安婦と日本兵の愛と死について考察していくが、その内容が極めてデモーニッシュだからである。それと対峙し、乗り越えるためには、まことに「どんな時でも、希望を失」わない強靱さが求められる。それを引き出すポテンシャリティが田村、つかの文学にはある。

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