日本の青年・学生の心理歴史的研究―ノート その19 続・三島の「聲」に耳を澄ます

(5)1960年代後半-70年代初の心理社会的クライシスへの闘いとして

 戦後の復興を果たし、高度経済成長も進めたが、日米安保体制の不完全な独立と裏腹の米国依存の平和主義(所謂「平和ぼけ」)、物質的な豊かさによる惑溺・頽廃(3S政略と「無責任」、「瘋癲/フーテン」、「破廉恥/ハレンチ」などの流行)、それに伴う偽善・欺瞞、また台頭するマルクス・レーニン主義の暴力革命に加えて毛沢東主義の「革命無罪」、「造反有理」が多大な影響を及ぼし、日本は深刻な心理社会的クライシスに見舞われていた。これを三島は直観的に察知し、阻止しようとした。西田・三木の鍵概念を応用すれば、三島は「行為的直観」を以てクライシスの深刻さを感得し、それを転換させるべく行動したと捉えられる。
 割腹諫死は最後の手段であった。しかも、それは三島の美の貫徹であった。鋭敏な三島が頽廃、偽善、欺瞞、暴力などに我慢ならず、最早このような日本で生き続けて自分を汚したくはないと思って当然であると、私は洞察する(ソクラテスが「弁明」で現世の裁判には期待できず、来世の神々の判定を願望すると陳述したことは参考になる)。
 なお、このような三島の生と死を踏まえると、1970年3月15日から9月13日まで開催された大阪万博を象徴する太陽の塔の「現在の顔」は、時代を諫めていると解釈・鑑賞することができる。

(6)自己分析の自己分析

 1970年、高校生の私はよく分からなかったが、東京から離れた群馬県桐生市で断片的に側聞しただけだったが、三島の鮮烈な死には衝撃を受け、記憶に刻まれた。その後、マルクス主義の影響で彼の評価を低くめても、三島と森田が憂国の熱誠に殉じたことは愛惜を以て感じていた。
 共産党の「査問」、「離脱」後、少しずつ三島について知ることで、評価を改めた。特に大学や学会において口先だけの空論を聞かされれば聞かされるほど、その偽善や欺瞞にうんざりし、三島を知行合一の良知において評価するようになった。それでも、2010年の時点での自己分析をまとめた『アイデンティティと時代』pp.20-21で、私は以下のように書いていた。

 (私が高校一年生であった)一九七〇年十一月二五日、三島由紀夫が憲法改定や自衛隊決起を呼びかけた後に割腹自殺をした事件(楯の会事件)が、リアルタイムで校内で話題になり、その日に当番だったクラス日誌に所感を書いた記憶がある。三島の文学から憲法改定の意味まで理解が不足していたが、割腹自殺という実践から、漠然と現状に問題意識を持たなければならないのではと感じるようになった。
 その後、日本近代史を研究する中で、二・二六事件の結末を知る日本の軍隊が民間人の呼びかけで決起することなどないと考えるようになった。これとは別に、三島や六〇年安保の樺美智子の死から関心を逸らそうとする傾向が日本には根強くあり、これは日本人の画一主義や体制順応と相関していると考えている。樺と三島の死は、尾崎秀実、戸坂潤、三木清たちの死とともに、もっと認識されるべきである。

 その後の研究で「自殺」から「諫死」に改めた。特に三島は母に「英霊の聲」の「原稿を見せに来た」とき「夜中にこれを書いていると、二・二六事件の兵士の肉声が書斎に聞こえてきて、筆が自分でも恐ろしくなるように大変な速さで滑っていって、止めようと思っても止まらないんだ」と語ったことを知ったからであった(平岡梓『伜・三島由紀夫』文春文庫、1996年、p.16)。これにより、私の考え方はまことに浅かったと思わされた。三島は「二・二六事件の兵士」の運命を承知した上で、自分も同様の運命を選択したのであった。
 改めて、私の記憶を探索すると、三島が割腹と知らされた時の状況が言葉では表せないがリアルに心に刻まれている。市ヶ谷と桐生は百キロも離れているが、三島のメッセージは確かに伝わったと思える程である。
 その後、40年ほどの紆余曲折を経て、次第に三島の「聲」を聴くような気が生成してきた。森田の「聲」もあるのかもしれない。日誌には森田についても書いていたからである。私は二人のようにはできないが、その志操を忘れず、努力する。
 なお、その後の研究で、私は樺の美化、政治的利用に注意するようになった。これについては大阪教育大学教育協働学科『教養教育ハンドブック』増補改訂版で論及している。また、尾崎の評価も若干改めた。今では樺や尾崎と三島を同列には位置づけない。

(7)合理性を以て合理性を超えて

 死者の「聲」を聴くということは非合理的である。しかし、三島の志操・思想と実践を理解するためには合理性の止まらず、それを超える力量を備えなければならない。
 しかし、非合理性に陥ってはならない。非合理性も考慮し、その合理的な理解に努めなければならない。ウェーバーの目的合理性や価値合理性、エトス、カリスマ、また、西田・三木のロゴス・パトス・エトスなどの応用が求められる。それは理性のみならず感性、慾動、情熱、愛(性愛から博愛まで)を有する人間の生(ライフ)、生きる意味の理解に関わる。三島の場合、その高次な認識が求められる。
 今後、日本も世界も変わり続けるが、未来の新たな歴史においても三島は重要な位置を占めるであろう。彼の生と死はより長期的な視角で考察でき、それを以て心理歴史的に評価ができるであろう。
 そのために、例えば、三島や森田の割腹諫死は、先述の「まこと」を基軸に阿南大将や大西中将の割腹自決、東條大将の恥を忍んだ自決未遂の自作自演による天皇制護持と関連づけることもできる(東條に関しては「ルーツとアイデンティティの心理歴史的研究―天皇制に関する歴史研究と自己分析」の(七)「戦争責任への対応における集団指導体制―東條大将の自決未遂を軸に」『社会教育学研究』社会教育学研究第40号、2018年1月で論じた)。

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