日本の青年・学生の心理歴史的研究―ノート その25

45.「永遠のうそをついてくれ」の唱和―1990年代から―
(1)端緒―1970年代半ば、葛飾の高校生サークルで―
 私が中島の音楽を意識し始めたのは1974年頃であった。葛飾にあった高校生サークルでは人間としての生き方や社会のあり方など語りあっていたが、その中に中島の大ファンがいて、バッハやベートーベンなどクラシックの大ファンと音楽についても語りあっていた(『アイデンティティと時代』p.98)。そして彼は私や仲間に中島を聴くように熱心に勧めた。
 中島の党派性について気にする民青地区常任委員がいたが、私は実際に歌を聴いて、それは気にしなくていいと判断し、大ファンはじめ高校生には何も言わなかった。

(2)「フォーク・ゲリラ」から「永遠のうそ」へ
 吉田は1946年生まれで、「フォーク・ゲリラ」を介して全共闘運動と関わっていた。中島は1952年生まれで、その時期、吉田の熱烈な大ファンであった。
 吉田が大きな役割を果たした1968年の「広島フォーク村」や、70年のデビュー・シングル「イメージの詩」、アルバム「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」は「メッセージ・ソング」と言われ、「挫折」してもまだエネルギーがあった学生運動に大きな影響を与えた。吉田には一定の主義主張などなかったと言われるが、彼が時代の動勢に乗りフォークソングで人気を博したことは現実・事実である。そして「メッセージ」の内容は、当時の学生運動と共鳴しあう体制への批判、反抗(プロテスト)であった
 この影響を受けた後身の一人に、帯広の高校生であった中島がいたう。彼女はデビューの時は「女拓郎」と呼ばれていたいう。
 しかし、「挫折」の後に「しらけ」の広がり始める1972年、吉田は「結婚しようよ」を歌った。それはメッセージ・ソングを止めたことを意味していた。
 さらに時代は変遷し、吉田はかつての「メッセージ」について問われると、「ああ、あれは全部ウソだよ」などと答えたという。それだけ図太く、また政治より歌が第一なのだろう。彼のアイデンティティの核心は歌手(シンガー)であったと言える。そして、歌手の評価は、何よりも歌の実践によってなされるべきである。
 だが、そのような吉田でも50歳を前にして、曲が作れなくなり、引退さえ考え、自分の最後の曲、「遺書のような曲を」を中島に依頼したという。
 他方、中島は高校時代では熱烈なファンであったが、その後は紆余曲折があったと思われる。何故なら、2006年9月23日、教育基本法が全面改定される三カ月ほど前、吉田とかぐや姫のつま恋コンサートで、中島が歌い終わり、後奏も終わった後、吉田が「驚いたね。こっちも緊張したね。(略)みんな年を経ていい人になったんだね。若い頃はイヤなヤツだったんだ、きっと、みんなね」と語ったからである。様々なことがあっても、中島が吉田に応えて創作し、吉田が中島をつま恋コンサートに招聘し、二人でデュエットした。それは、ミュージシャンとしてお互いに評価しあったこのの証左である。
 これらを踏まえると、タイトルの「永遠のうそ」について、革命は「必然」、共産主義社会は「必然」であるという思想・イデオロギーのプロパガンダが想起される。そして、歌詞にある「この国を見限ってやるのは俺のほうだと/追われながらほざいた友……上海の裏町……」は、イデオロギーに翻弄された姿を思わざるを得ない。『アイデンティティと時代』p.67で言及した「ゴリ」はその一人だろう。また小説では矢作俊彦『ららら科学の子』(文藝春秋、2003年)を思わされる。さらに分析を進める。

(3)「永遠のうそをついてくれ」の分析
 「永遠のうそをついてくれ」は中島が吉田に贈った「メッセージ」と言われている。ネットだけでなく、そのように聞いたこともある。
 当然、演出され、マスメディアで流された可能性もある。歌手はじめ、俳優、タレント、政治家などは、常に既に(フッサール『経験と判断』「緒論」)、演出・演技がつきまという。また、アルチュセールに習えば、様々なイデオロギーは、常に既に、隅々にまで遍在しており、人々の内心に作用し、動かし、様々な役割を演じさせる(社会学的には「役割理論」)。中島自身「ショータイム」で「今やニュースはショータイム。今や総理はスーパー スター……乗っ取り犯もスーパースター」と歌っている。
 そして重要な点は、演出・演技が当人の実体や本意と異なり、仮の姿、言動であるとしても、それは社会で存在し、この点で現実となるということである。仮であるが、仮としての実がある。これはイデオロギーは虚偽(うそ)だが、それに動かされる人間は現実に存在し、それ故、虚偽は現実的であるということと相同である。
 出だしは♫ ニューヨークは粉雪の中らしい/成田からの便はまだ間に合うだろうか/片っ端から友だちに借りまくれば/決して行けない場所でもないだろう/ニューヨークくらい/なのに永遠の嘘を聞きたくて/今日もまだこの街で酔っている……♫ である。この歌い方は、吉田の初期の早口の「字余りソング」が採用されており、それは吉田への「初心を想い出せ!」というメッセージであると捉えることができる。
 次に、ニューヨークと成田の地名についてみると、ニューヨークは名利や慾望が渦巻く資本主義の総本山である。また、成田には、空港建設反対「成田闘争」があり、学生も多く参加していた。そのような者に、たとえ歳月を経ても、成田から飛行機に乗りニューヨークに行くことなどできないという心情が生じても理解できる。実際、私は院生の時に「成田闘争」の現地支援に行っていた者(その後、国立大教員)が成田から出発することが知られ、周囲が皮肉・陰口を言ったことを傍で聞いていた。なお私は、そう言う者たちはノンポリなので、言う資格がなく、しかも陰口なので、卑しいと判断し、加わらなかった。
 前掲『ららら科学の子』p.463では、密航で中国に行き、帰った主人公が「そうか。成田空港は出来ちゃんったんだね」と呟ている。
 第三に、歌詞にある「上海」については既述したが、さらに論じる。♫ うそをつけ/永遠のさよならのかわりに/やりきれない事実のかわりに ♫と唱う。全共闘運動が挫折し、新左翼が内ゲバでじり貧になっただけではない。1989年の天安門事件が重要である。即ち、中国共産党の軍隊たる人民解放軍が人民に発砲して民主運動を鎮圧し、さらに「改革・開放」の名目で市場経済化=資本主義化を推し、資本主義より格差は拡大した。そのような中国の「上海の裏街で病んでいる」のは、全く「やりきれない事実」である。
 このように分析すると、メッセージ・ソングで学生運動と共振し、時流に乗って成功した吉田にとって「永遠のうそをついてくれ」は極めて辛辣な比喩・皮肉となる。
 しかし、また、中島のメッセージはそれだけではない。「うそ」をついたことの責任をとれではなく、その「うそ」を「永遠」につき続けてくれとも受け取れる。
 もちろん、この「うそ」も、男女の艶話としても受けとれる。「何もかも愛ゆえのことだったと言ってくれ」に繋がっているところなど、まさにそうである。ただし、「愛」には恋愛の「愛」もあれば、「人類愛」もある。そして、あの時代に「革命」を目指したのは、労働者階級の解放を通した人類の解放のためだったはずである。
 ところで、中島には吉田にメッセージをつきつける資格があるだろうか? 中島はメッセージを歌い続ける側面も持っていた。これについて次に具体例をあげていく。

(4)中島の音楽活動における学生運動の位置づけ
 中島の歌詞には学生運動が色濃く反映しているが、それへの姿勢、スタンスが異なる。学生運動を詠う中で鋭く告発している。やはり、吉田の後の世代(「うそ」をつかれた世代)である。
 これはまた、全共闘世代だけでなく、先行する闘った安保世代や後進の挫折・しらけ世代の共感を得ることにもなる(学生運動の挫折は安保世代ににも影響)。彼女の人気の条件と言える。
 以下「断崖―親愛なる者へ」、「裸足で走れ」、「熱病」、「ローリング」の歌詞を紹介し、コメントする。

「断崖―親愛なる者へ」(1979年)
 ♫ 風は北向き/心の中じゃ/朝も夜中も/いつだって吹雪/だけど死ぬまで/春の服を着るよ/そうさ/寒いと/みんな逃げてしまうものね/みんなそうさ/
走り続けて/いなけりゃ/倒れちまう/自転車みたいな/この命/転がして/息はきれぎれ/それでも走れ/走りやめたら/ガラクタと呼ぶだけだ/この世では……♫

 “風向き=情勢は悪化しているが、それでも闘うぞ。全身全霊でアジ演説やオルグをしてきて、闘いを止めたら、ガラクタ同然になり、みなそう見なすから”と聴ける。

「裸足で走れ」(1979年)
 ♫ 黙っているのは/卑怯なことだと/おしゃべり男の/声がする/命があるなら/闘うべきだと/おびえた声がする/上着を着たまま/話をするのは/正気の沙汰ではないらしい/脱がせた上着を/拾って着るのは/賢いことらしい/一人になるのが恐いなら/裸足で、裸足で/ガラスの荒れ地を/裸足で突っ走れ ♫

 「おしゃべり男」は早口の「字余りソング」への皮肉と聴くこともできる。
 党派についていえば、革命のために全てを捨てろと説得・洗脳して、自分の思惑に利用したことの告発にもなる。確かにそのような者もいた。さらに、挫折・敗北に終わったので、当人に思惑がなかったとしても、事実上、その結果になった。なお、これは政治だけでなく宗教でも見出され、教会では神のためにと大義が変わるが、同様の説法が使われていることを、その後、見聞した。
 「おびえた声」の闘争の呼号も、東京の下町でも学園でも見聞した。特に、駒場寮では「座して死を待つよりは」と語られていたのを、側聞した。しかし、そのように叫んだ者が実際に必死に行動したのは知らない。いざとなったら要領よく逃げた例しか記憶にない。
 むしろ、あまり語らなかった「ドブチュー(セツラー・ネーム)」が、誰にもメッセージを残さず、地下に潜行した(『アイデンティティと時代』p.25など参照)。彼の志や才能を思うと、哀惜・愛惜の念を覚えずに入らない。
 「一人になるのが恐い」のはセクト主義の心理の核心を衝いている。怯懦・恐怖で群れるが、それをカモフラージュし、強がり、集団で暴力(ゲバルト)を奮う。

「熱病」(1985年)
 ♫ 僕たちは熱病だった/ありもしない夢を見ていた/大人だったり子供だったり/男だったり女になったり/僕たちは熱病だった/曲がりくねった道を見ていた/見ない聞かない言えないことで/胸がふくれてはちきれそうだった…略…熱の中でみんな白紙のテスト用紙で空を飛んでいた/ずるくなって腐りきるより、阿呆のままで昇天したかった♫

 「熱病」は三島の信じた「熱情」に通底する。また「白紙のテスト用紙」は「大学解体」、学歴主義批判の表現となる。そして「阿呆のままで昇天したかった」は「うそ」だと分からないままで死にたいという意味で「永遠のうそをついてくれ」と響きあう。

 「ローリング」(1988年)
 ♫ 黒白フィルムは/燃えるスクラムの街/足並みそろえた/幻たちの場面/それを宝にするには/あまりに遅く生まれて/夢のなれの果てが/転ぶばかりが見えた//Rollin' Age 笑いながら/Rollin' Age 荒野にいる/ぼくは、ぼくは荒野にいる♫

 「夢のなれの果てが/転ぶばかりが見えた」は、“やっぱりうそだったんだ”と同然である。しかし「笑いながら……荒野にいる」と宣言する。「夢」であり、実現しないと分かっても、そして、現実は荒涼たる世界となっても、そこに存在し続けることを選び取る。ここから「永遠のうそをついてくれ」に進むには容易である。

(5)二人の唱和する「永遠のうそをついてくれ」のインパクト
 その後、「永遠のうそをついてくれ」のメッセージの効果があったのか、あるいは、そのような筋書き・演出・演技だったのか? 吉田はテレビなどで「新・吉田拓郎」をアピールし、久しぶりにヒットを出し、ツアーも再開した。
 そして、2006年9月23日、中島と吉田はライブで「永遠のうそをついてくれ」を唱和した。このデュエットを、私は偶然BS放送で視聴した。テレビをつけると、前奏が始まる時で「永遠のうそをついてくれ」だと気づいた。
 私は歌を聴く時、いつもは映像を避ける。音だけでその世界を楽しみたいからである。しかし、その時は目が離せず、グイッと惹き込まれた。特に中島の目つきの凄味に捕らえられた。そして終わると迫力から解放され、「スンゲェ」と感じながらホッと一息ついた。
 しかし、やはり映像のある音楽は苦手で、DVDなど求めようとは思わなかった。やはり偶然だったが、BSの再放送で視聴する機会があっただけだった。やはりインパクトは強かった。これについて考察していく。
 中島は、自分がステージに登場し、マイクに近づくまで会場はシーンとなっていて、歓迎されていないのかな、「帰れ!」と思われているのかなと思ったが、その後でウォーッと会場全体がどよめいたという(「中島みゆき F-CHANNEL」より。2014/05/21 に公開、2014年11月1日閲覧)。彼女が“歓迎されていないのかな、「帰れ!」と思われているのかな”と思ったことは、前述の吉田の「若い頃はイヤなヤツだったんだ」という発言に符合する。
 だが、中島は誤解していた。私は、ユーチューブで何度も視聴すると、まず吉田が歌い始め、その後で演奏だけになり、会場では「アレ?」と不審や期待が生じた頃合いに、中島が姿を現すと、拍手や手拍子が始まり、マイクの前で彼女が横向きから前向きに姿勢を変え、顔がよく見え、中島であることが明瞭になる瞬間に、会場はどよめき、彼女は一気に聴衆全体の心魂を獲得したと、私は解釈する。
 会場がシーンとなっていたというのは、中島の位置と音量の比較の問題で、マイクまで歩いて行く間は、近くの楽器演奏の音量が会場よりも優り、聴衆の拍手や手拍子をかき消したが、彼女がマイクに向かうと、どよめく会場の音量が一気に増大したため、彼女にとって、それまで会場はシーンとなっていたように聞こえたと推理できる。
 次に、その瞬間的な心理社会的パワーが圧倒的だったのか、或いは、中島の気合い・緊張が強すぎたのか、また或いは、吉田が「うそ」をつき、その吉田を追いかけていた時代を思い出したのか、彼女中島は初めはあごを引き上目づかい気味で、“やる!”という妖しく挑戦的な視線を発した、と私は感じた。また、彼女の歌い始めは、少しかすれたように聞こえた(私の器機が悪いのかもしれない)。
 前記三番目の解釈は、彼女が「帰れ!」と思われているのかなと感じたことに関わる。当時、会場では、学生運動におけるセクトの対立の影響で、「帰れ!」などのヤジが飛びかい、混乱する時さえあった。そして、中島は「女拓郎」と見なされたように、やはり学生運動の時流に乗ったことは否めない。ところが、2000年から始められたNHKの「プロジェクトX~挑戦者たち~」では、彼女の歌である「地上の星」と「ヘッドライト・テールライト」が、主題歌とエンディング・テーマに使われ、またカップリングでリリースされ、ヒットした。2002年の第53回紅白歌合戦では「地上の星」を唱った。
 ところが、紅白歌合戦は日本の国家としての再建で重要な役割を果たし、国民の統治に使われ続けていると1970年代でも聞かされた。「第四の権力」と言われるマスメディアの頂点に君臨するNHKが、このように中島を登用し、彼女は応じたのである。かつての自分なら、そのような歌手が出て来たら、「帰れ!」と叫びたくなっただろう。時期は遅れたが、やはり吉田の後を追い、結局は「うそ」をつくことになったからである。
 しかし、それは政治との関連である。歌手ならば、歌で勝負しなければならない(文芸は政治に奉仕するというのは毛沢東主義である)。
 中島は歌うにつれて、笑顔を見せ、挑戦的な妖しさは妖艶へと変じ、瞠目すべきアウラ(W.ベンヤミン)を発揮した。それは吉田はじめ会場全体を巻き込み、昂揚の中で清楚なブラウスにジーンズというモダンな「歌姫」がそのまま女王にもなったかの如く、「うそ」でも信じさせるデモーニッシュな蜜酒を降り注いでいるようだった。
 これまで中島に焦点を当ててきたが、彼女を登場させた吉田も高く評価する。しかも「お前は永遠のうそつきだ」というようなメッセージを大集会で公然と受けとめるような立場であった。そのタフな居直りは敬服に値する。
 これは、見方を変えれば、正直さの証でもある。ウソつきは、自分がウソをついたとは言わない。しかし、吉田は大勢の前で公認した。ウソつきだろうが、まだ正直な方で、しかも強靱である。

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