日本の青年・学生の心理歴史的研究―ノート その27

47.党派を超えたオーラル・ヒストリーと「これからの社会を考える懇談会」
  ―「何しろ人間だよ」―川上の「個人」としての「総括」
 2006年9月23日に吉田は「みんな年を経ていい人になったんだね。若い頃はイヤなヤツだったんだ、きっと、みんなね」と語った。
 その前年の8月、川上が代表となっている同時代社は、森川友義が編集した『60年安保―六人の証言』を出版した。2014年1月には川上自身が『戦後左翼たちの誕生と衰亡』(前掲)として10人の聞き取り調査をまとめた(同時代社の代表は高井=川上喬)。これらは党派を超えたライフ・ヒストリーとオーラル・ヒストリーの調査の成果である。これは、小熊の『1968』の膨大な情報を整理する上で参考になる。
 その頃、私は雑談でライフ・ヒストリーとオーラル・ヒストリーの絡みあいについて、心理歴史的研究、現象学の提起した生の世界の相互主観/主体的な構成、現象学的社会学の日常の生の世界、プラグマティズムにおけるコミュニケーションやシンボリック相互作用、文化人類学やエスノロジーのフィールドワーク、グループ・ダイナミクスのアクション・リサーチなどについて話した。川上は笑って聞いていた。後で振り返ると“おしゃべりばかりしてないで、実際にやれよ”とノン・ヴァーバルで示唆されたと恥じた。
 川上は出版だけでなく、2002年に発足した「これからの社会を考える懇談会」でも中心的な役割を担った。略称「コレコン」は「ネオコン(新保守主義)」への対抗を示唆している(彼は冗談まじりに語った)。『コレコン』第1号(2005年3月)では、2004年12月の「全体会議」における「申し合わせ」が掲載されている。

①私たちは、一九六〇年代から七〇年代にかけて様々な政治・社会運動に加わり、現在もそれぞれの立場から、新自由主義イデオロギーによるグローバリゼーションの潮流に抗して、東アジアの平和と共存のために、人間社会と環境の破壊に抵抗する行動をすすめようとする個人のネットワークである。
②私たちは、「もう一つの社会は可能だ」という確信を持ち、労働者運動と協同組合、様々な市民運動、NP0活動の発展、社会主義の変革と立て直しのために努力している者たちから成っている。私たちの相互の間にある立場や考え方の相違にもかかわらず、この間の共同、協力の関係のなかで築かれた信頼関係をもとにして、こんごとも可能な問題では共同しつつ、引き続き「これからの社会のあり方」を探求していきたいと考える。
③お互いの相違を確認することは新しい可能性を発見することである。したがって私たちは、考え方の一致を求めつつも常に保留的態度や異論を尊重し、それらは将来のより豊かな合意のために価値あるものの一つだと考える。

 勿論、この「ネットワーク」に全共闘運動当時の全ての党派の活動家が参加してはいない。だが「離脱」したとはいえ、日本共産党・民青であった川上が加わっていた。私はこの会合に出席したことはないが、懇親会に一度出たことがある。
 この他に川上は日本共産党との繋がりも保っており、やはり呼ばれた懇親会に出たことがあった。青年運動や協同組合運動の幹部がいた。
 「個人のネットワーク」として、川上は1960-70年代の「政治・社会運動」の再建を川上は実践していたと私は考える。彼は全学連を再建したのであり、再建としては二度目であった。それは全学連のような全国組織ではなく、また、川上もそれを意図していなかった。
 彼は「何しろ人間だよ」と私に語った。だからこそ「個人のネットワーク」であり、それは各参加者の人間としての在り方を基盤としていた。それは量的には全学連には及ばないが、日本共産党・民青vs.新左翼・全共闘の対立を超えており、質的精神的にはより高い次元に到達していた。彼は「まぁ、いろいろあるけど、これからの社会を少しでもよくしようというところかな」とつぶやいた。
 これらは川上のライフサイクルを「完結」させる営為であるとともに1960-70年代の闘いの「個人」としての「総括」にもなっている、と私は考える。

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