日本の青年・学生の心理歴史的研究―ノート 補註0802

補註―六〇年安保闘争の評価、その後の運動

(1)評価について
 安保闘争に関する資料は膨大であり、評価も様々である。大きく、負けたと勝ったという二つの受けとめ方があり、それが闘争の誤りか正しさかの違いに繋がり、全学連(全日本学生自治会総連合)の分裂をもたらした。
 後者は、日米安保条約は継続となったので完勝ではないが、岸首相を辞任に追いこむなど、民意は反映されたと捉えるので、単なる負け惜しみとは言えない。

(2)全学連の分裂と複数の再建
 全学連は日本共産党・民青系と新左翼系に分裂し、指導部は分解し、組織の機能は停止した。これに対して、まず日本共産党・民青系が「全国学生自治会連絡会議(全自連)」、「安保反対、平和と民主主義を守る全国学生連絡会議(平民学連)」などの再建運動を経て、1964年12月10-13日に再建大会を開催した(委員長に川上徹を選出)。次いで新左翼諸党派もそれぞれ全学連を結成した。
 前者を主導した川上については『アイデンティティと時代』や『「わだつみみのこえ」に耳を澄ます』などで論じたが、まだ不十分であり、別の機会に東大教育学のアクション・リサーチを軸とした「世代のサイクル」の視座から詳論する。私からみて、彼のライフ・ヒストリーが「列伝」であれば、私のは「外伝」と考えている(『アイデンティティと時代』あとがき)。

(3)新左翼における世代的な「反抗」と「忠義」の複合(コンプレクス)
 ブントは新左翼に位置づけられるが、心理歴史的にみれば旧=年長世代に対する青年世代の反抗と新たな左翼への「忠義」(エリクソン)の複合的現象形態と言える。共産主義者同盟や共産党はマルクス、エンゲルス、レーニンの時代は「新」であったが、ロシア革命から30年以上も過ぎれば、1950年代後半の青年・学生にとって「旧」となる。実際、ソ連では大粛清のみならず党・国の官僚機構の弊害が現れていた。それはマルクス・レーニン主義的なプロレタリア独裁と民主集中制(民主は名ばかりで集中が貫徹)の複合的帰結であった。
 新左翼に、日本共産党はマルクス・レーニン主義的に対応したが、それを新左翼はスターリニズムと批判した。ところが、多くの新左翼党派はスターリンをマルクス、エンゲルス、レーニンと同列に位置づける中国共産党と毛沢東主義に注目、さらには賞讃した。特にML派は毛沢東主義を指針の基本に位置づけた。
 また、スターリニズムと批判された日本共産党は新左翼をトロツキズムと反批判した。社会も時代も民族も異なるのにスターリニズムやトロツキズムをそのまま使うのは、マルクス~レーニンのいうことは正しく、どこでも当てはまると思い込まされていたからである。
 即ち、ロシア革命(1917年)とソヴィエト社会主義共和国連邦の成立(1922年)によりマルクス・レーニン主義の正しさが証明されたと宣伝された。その後、共産党一党独裁からスターリン個人独裁と権力が集中し大粛清が起きたが、40年後に中国共産党は中国革命を達成し、さらに雄弁にソ連を批判したことで、共産主義の権威は命脈を保った。一党独裁は同じなので、毛沢東はスターリンを批判しなかったが、これを問う者は専門家くらいであった。むしろ、革命後も革命を「継続」すると、1966年にプロレタリア文化大革命を発動したことで、共産主義の理想はまさに中国にあると思わせた。
 このように不十分な理解、思い込み、誤解にいくつものイデオロギーが錯綜しながら降り注ぐ下で新旧の対立が激化した。まさに、矢内原の「政府権力に対して本能的に批判的であり、他方では政府権力に対して批判的な政党もしくは政治団体から流される情報や宣伝には信じ従うというところに、日本の学生運動の特色があり、同時にそれが弱点でもある」という指摘が妥当であったことが分かる(前掲『矢内原忠雄―私の歩んできた道―人間の記録⑨』p.199)。
 しかし、これを学生運動は受けとめることができず、むしろセクト主義が強まった。私は青年期の反抗に加えて「忠義」が共産主義的プロパガンダに利用されたためと分析する。特に1960年代では毛沢東主義(マオイズム)の効果は大きかった(ただし前述のようにマオイズムは一貫してスターリニズム支持)。そして、学生を指導すべき教員の中にもこのプロパガンダに影響された者が多かった。「教育者自身が教育されなければならない」(マルクス「フォイエルバッハに関するテーゼ」三)、「造反有理」で、むしろ学生に引け目を感じ、さらには迎合する者もいた。

(4)アウシュヴィッツを通した平和運動への展開
 安保闘争の後、四人の青年は「広島・アウシュヴィッツ平和行進」を達成した(『希望への扉―心に刻み伝えるアウシュヴィッツ―』第二章第二節三など)。これを継承し「心に刻むアウシュヴィッツ」巡回展が全国的に展開された。それは、党派から離れた独自の平和運動であり、1989年の天安門事件やベルリンの壁の崩壊の影響は受けず、その後、常設館の開館に結実した。

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