叢書「生涯学習」(雄松堂)に向けての歩み(ノート)4

 1986年1月8日、9日の二日かけて、社全協の部屋で「生涯教育と社会教育」をテーマに座談会が開かれ、参加した。その一部が「座談会:国民の生涯学ぶ権利をどう保障するか」『月刊社会教育』1986/昭和61年3月号に掲載された。
 主席者の小川利夫、長沢成次は明確に社全協の立場であり、伊藤長和は所属していた政令指定都市研究会の立場からと聞いたが、この研究会が社全協に近かった。つまり社全協から距離を置いていたのは山田だけであった。山田を招請したのは島田修一であった。
 山田は、それ以前、社会教育学会の理論研究部会で発言しており、それを島田修一が重視した。
 理論研究部会の記録はないが、山田の「座談会」での発言は、その一部になる。
 山田がハバマスの公共性の構造転換やアルチュセールたちの文化的再生産や主体の認識について発言し、「自発的服従」について問題提起した(『月刊社会教育』1986/昭和61年3月号、pp.46-47)。それは、公共性という場合、「公的社会教育」に限定せず、「自己教育」の「信濃生産大学」などが「公的なものとうまくかみあっていた」という歴史に学びつつ、現に進行している「教育や文化の商品化」、「人間の動機づけまで文化を作ろうと」すること、「企業の投資効果とともに生きがいや要求の組織化」などの問題に関する「分析が必要」という提起であった(同前、pp.52-53)。文中では「企業の投資効率」となっているが、山田は「効率」ではなく「効果」と発言した。
 主体の認識に関しては「主体形成が論じられているが、その主体とは何かを問わねばならない」と発言したが、省略された。それはsubjectが主体であるだけでなく臣下をも意味することを踏まえていた。フッサールの相互主体性は公共性の認識にとって重要だとも述べたが、同様に省かれた。
 さらに問題提起だけでなく、相互主体性を踏まえて「自発的服従」ではなく、自律と共生の主体、その形成のための自己教育を論じようとしたが、力量不足で発言には至らなかった。これは学会理論研究部会でも同様で、基礎理論研究会を通して少しずつ理解を深め、試論的だが叢書「生涯学習」で応用するようになった。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント