日本の青年・学生の心理歴史的研究―ノート その23

48.絡みあうタナトスとエロス
  ―村上春樹『ノルウェイの森』に即して1960-80年代を重層的に考える―

(1)1969年―「百パーセント・リアリズム」
 先にノート38で新左翼・全共闘における「暴力とエロティシズム」の複合について論じた。公然と暴力を行使できるようになれば性の規範など顧みなくなる。これについて、1987年に講談社から刊行され、ベストセラーになった『ノルウェイの森』に即して考察を深める。
 村上は『ノルウェイの森』第十章で「一九六九年という年は、僕にどうしようもないぬかるみを思い起こさせる」と述べている。また、彼は「リアリスティックなスタイル」より「シュールレアリスティック文体の方が僕は好き」だが、『ノルウェイの森』については「百パーセント・リアリズムの手法」で書いたと述べている(『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです・村上春樹インタビュー集・1997-2009』文藝春秋、2010年、p.198)。
 そして私は『ノルウェイの森』では60年代から80年代までの状況が重層的に表現されていると捉える。ストーリーには約20年前(1960年代)を背景にして学生運動が隠し味のように内包されており、それは80年代の読者を引きつけた。それは60-80年代の状況が重層的に表現されているからである。
 この重層性について60年代に10代、80年代に30代だった私はよく分からなかったが、2000年代に50代となり、次第に気づくようになった。『ノルウェイの森』に『アイデンティティと時代』pp.28-31で論及した基底には、1960年代と80年代の連関を、70年代に学生であった山田=ブクの2010年における問題意識があった。
 だが『アイデンティティと時代』は私の経験/実験の自己分析が主軸であるため、『ノルウェイの森』の分析は控えた。ここではその後の10年の研究や経験/実験を踏まえて、また、心理歴史的な分析を試みる。

(2)タナトスとエロス
 『ノルウェイの森』では性行為の描写がしばしば出てくる。ポルノのように煽情的ではなく、むしろ慾動の放出という意味で「リアリズム」であり、羞恥心や罪悪感は希薄である(特に「永沢」と彼に引きずられる主人公)。それらは一々取りあげず、ここでは第六章の少女の「直子」と少年の「キズキ」の性的な体験、トラウマ、自殺について論じる。
 思春期の子供にとって性器は排泄器官と近接していることから不潔感や嫌悪感を催す。ところが二人は慾望の赴くまま12歳でキスをして、13歳でペッティングをして、少女の「直子」の手で少年の「キズキ」が射精するという「普通の男女の関係とはずいぶん違った」状況に至っていた。だが、直子は「早熟だなんてちっとも思わなかったわ」という。これは意識のレベルだが、無意識のレベルではどうなのか? 結局「キズキ」も「直子」も自殺に至る。創作だが、リアリズムが貫かれており、この意味は深く考えるべきである。
 二人は深層において不潔感や嫌悪感を鬱積させていたと私は考える。そして、そのような自分を全否定し、まずキズキは自殺する。
 残された直子は主人公と再会し、さらに初めて性交するが、その時は身体が性的に反応した=性的快楽を得たが、それが却って嫌悪感を増したと私は考える。それ故、彼女は彼から離れるが、主人公は追い、再開し、さらに彼と幾度も性的行為を繰り返す。彼女が優しいから彼の慾望に応じるが、その都度、性への嫌悪は深まり、そのような自己をも嫌悪すると考えられる。そうであれば自殺に帰結して当然である。

(3)「コミカル」で「シリアス」なタナトス―「突撃隊」に即して―
 第三章では「一九六九年一月から二月にかけてはけっこういろんなことが起こった。一月の末に突撃隊が四十度近い熱を出して寝込んだ」と書かれている。この「一九六九年」の一月には東大安田講堂「落城」、神田カルチェラタン闘争、駒場第八本館封鎖解除が起きていた。そして、夏になり「突撃隊」は「蛍」を主人公に贈り(第三章の終わり)、夏休みが終わっても、「突撃隊」は寮に所持品を置いたまま戻らず、消息が不明となる(第四章の始め)。ここで歴史をみれば69年9月に赤軍派が結成された。
 あたかも「蛍」は「突撃隊」が遺した形見のようである。しかも、この「蛍」は『ノルウェイの森』の起点と言える短篇「蛍」と重なりあうとおり、まさに重要な鍵と言うことができ、そこに「突撃隊」が絡んでいることは軽視できない。
 この「突撃隊」なる登場人物は、主人公の寮の同室者で、水着女性のピンナップ(当時の週刊誌のヌード表現の限界はこの程度まで)の代わりにアムステルダムの運河のポスターを貼っており、その生真面目で生硬な振る舞いや常に学生服姿でいるため、周囲から右翼学生のように見られている。ただし本人に右翼思想はなく、当時、若者が男でもファッションに関心を向け、ジーンズ、Tシャツ、ジャケットなどが広がる世相の中で、彼が学生服姿を続けるのは、単に服を選ぶのが面倒なだけである。このような「突撃隊」を、村上はユーモアとペーソスを微妙に交えながら簡潔な文体で描き出している。
 ところが、村上は『ノルウェイの森』の「時代」について「とてもシリアスであることが即ちとてもコミカルだった。要するに二義的(アンビギュアス)な時代」とも述べている(同前『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』p.235)。これを敷衍すれば、「コミカル」な「突撃隊」は、実はとても「シリアス」であったと捉え直すことができる。
 「シリアス」について、『遠い太鼓』では、天安門事件に関する「北京の記事は本当に読めば読むほど気が滅入ってきた。それはどこにも救いのない話だった。もし僕が二十歳で、学生で、北京にいたとしたら、僕だってやはりその場にいたかもしれない。そしてこちらに向かってくる自動小銃の弾丸を想像する。それが僕の肉に食い込み、骨を砕く感触を想像する。その空気を裂くひゅうっという音を想像する。そしてゆっくりと訪れる暗闇を想像する」と書かれている(1990年刊。引用は講談社文庫版、1993年、p.456)。ここでは学生運動への参加の可能性が述べられており、これもまた村上と「一九六九年」の学生運動との関連性を補強するものである。
 これも含めて2000年代から中国の知識人と村上春樹の文学について幾度も語りあってきた。やはり『ノルウェイの森』が最も話題になった。中国では高校生からの反応が多く、改革・開放後に生まれた若い世代に「ムラカミ・ワールド」が迎えられてるという。
 いくつかの意見交換の場で、私は『ノルウェイの森』(講談社、1987)の中に登場する「突撃隊」の英訳(Norwegian wood, translated by Alfred Birnbaum, Kodansha, 1989)は「カミカゼ(Kamikaze)」で、その時、英語圏の人々が抱く日本人観を垣間見た思いをしたと述べた。ほとんど聞くだけだったが、中国海洋大学の林少華教授は「私もカミカゼのイメージを持った」と語った。「カミカゼ」は英語圏だけでなく、中国語圏にまで広がっていることが分かった。因みに、林少華教授の中国語訳では「敢死隊(決死隊)」となっている(『挪威的森林』上海訳文出版社、2001年)。
 以上を踏まえて、さらに「突撃隊」について考える。彼は国立大で地理学を専攻している。この点で、米国の傘下で高度に資本主義を発展させた日本の都市生活を基調とした『ノルウェイの森』の世界に登場する学生服姿の人物は、外見は右翼的で復古的な印象を与えるが、実際は地理学という科学を学ぼうとする近代人である。
 かつて、このような「突撃隊」を「カミカゼ(Kamikaze)」と英訳した点に、私は違和感を感じていた。それは、ナチスの突撃隊は近代社会の合理性の所産である科学的組織的な暴力を体現し、これは村上の作品の基調をなす高度成長以後の日本の都市生活にある程度は適合しているが、「神風」特攻隊は、前近代的、或いは“半近代”的な攻撃方法だったと見なしていたからである。即ち、飛行機という近代兵器を使用してはいるが、神風特攻隊は自決を強いる肉弾攻撃であり、これをナチス・ドイツの突撃隊員が受け入れて実行したとは考えられない。
 勿論、これはナチズムの狂信主義を相対的に評価することを意味してはいない。アウシュヴィッツに代表されるように、ナチスは合理的に科学的に無差別大量虐殺(ホロコースト)を実行したのであり、そこには近代合理主義の抜き去りがたい暴力性、合理性の狂信が存在している。そして、この問題は近代性(modernity)批判において繰り返し取り上げられてきており、ポストモダン(“後”近代)も、それが軽佻浮薄に陥らない部分においては重要である。
 この近代を軸に“前”近代と“後”近代を考えると、英語圏の読者の日本観が“kamikaze”という訳語に関連していると思われる。日本は高度に発達した資本主義社会でも、憲法では、全体で103条から成る条文の第1条から第8条までは天皇と皇室についての規定である。この位置づけは、憲法の精神を宣言した前文では天皇や皇室について述べた文言がないことを重ね合わせて考えるならば不自然である。そのため日本では前近代的君主制と近代的共和制が混在しているように見える。英訳で「突撃隊」が“storm troops”と直訳されず、“kamikaze”と意訳される理由は、この混淆的状況にあると言える。英訳の刊行された89年は、昭和天皇が崩御した年であり、その前後の政府の対応やマスメディアの報道はまさに前近代を彷彿とさせるものであった。身近な例では、日本で最高の学力を持つ者が集まる大学の教授たちが忘年会や新年会などで乾杯する時に「歌舞音曲は控えようか」と苦笑混じりに語っていた。周囲の耳目を気にしてのことと言えようが、自分たち自身の内的な抑制もあったと、私は感じていた。
 だが、その後、特攻隊の研究を進め、また三島の割腹諫死について熟考し、前近代的、“半近代”的な攻撃方法という捉え方を改めた。そこには近代、“前”近代、“後”近代が凝縮されていると認識するに至った。特攻隊員の遺書などを読めば限界状況にありながら明晰で、狂信に陥ってはいない。以上から「突撃隊」よりも“kamikaze”の方がより深い読み方ができると考えるようになった。この点について、さらに考察を深める。

(4)『ノルウェイの森』と『ねじまき鳥クロニクル』―「突撃隊」と「情報将校」―
 「地理」と「突撃隊」では地図と戦争の組み合わせが見出せる。『ねじまき鳥クロニクル』でもこの組み合わせがあり、第一巻第十二章では大学で地理を専攻し、軍隊では地図を専門とする「兵要地誌班」に配属された情報将校「間宮中尉」が登場する。しかも、第九章ではノモンハン事件という史実が取りあげられている。
 なお「ねじまき」という表現でも『ノルウェイの森』と『ねじまき鳥クロニクル』の関連性が見られる。『ノルウェイの森』第七章の結びで「日曜日には僕はねじを巻かないのだ」、第八章の結びに近い、直子への手紙の中で「日曜日にはねじを巻かない」など類似の表現が幾度も使われている。
 以上を踏まえて、改めて『ノルウェイの森』について再考すると、主人公や「突撃隊」たちが暮らす寮には「根本的なうさん臭さ」があり、「きわめて右翼的な人物を中心とする正体不明の財団」により運営され、毎朝の国旗掲揚は「東棟」の「寮長」が担当していると書かれている。この「寮長」は「日焼けした首筋に長い傷あとがある」「六十前後の男」であり、「陸軍中野中学校出身という話だったが、これも真偽のほどはわからない」という(以上第二章)。この点からも「突撃隊」より“kamikaze”が合う。
 だが「突撃隊/kamikaze」と「間宮中尉」は時空間が異なる。この点でについて、次に述べる。

(5)「井戸」と「イド」

 「ムラカミ・ワールド」では井戸(イド)で時空間が繋がっている。音韻的に「井戸」は「イド」に通じる。それはカール・ユングの「集合的無意識」の具象化、或いは暗喩と言える。村上はユング派臨床心理学者の河合隼雄との対談『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(岩波書店、1996年)を出版している。
 「井戸」は『ノルウェイの森』で重要な意味を暗示している。また、間宮中尉の生と死という限界状況において「深い井戸」が大きな役割を果たし、さらに「井戸」を通じて過去と現在が交錯する。
 『遠い太鼓』の「はじめに」でも「まるで深い井戸の底に机を置いて小説を書いているような気分」と述べられている。
 「ムラカミ・ワールド」において、イド(井戸)を通して絡み合うエロスとタナトスが重層的な時空間において通奏低音の如く響いていると言える。

(6)補註―エンピリカルに―

 『アイデンティティと時代』pp.28-31で「ウラン(セツラー・ネームで鉄腕アトムの妹より)」について述べた。彼女は短大二年生のときに不登校になり、中退した。私は心配で、彼女の自宅を訪問し、彼女の父と話したが、何もできなかった。そして、彼女の母について、次のように書いた。

 母は髪を長く垂らして、中年には似つかわしくなかった。話し方は弱々しく、当時の私でも病的な感じを受けた。そのような母に、帰りがけに再び庭であった。彼女と会ったのはいずれも庭でだったが、彼女が庭仕事をしているようには見えず、ただ春の日ざしの下で立ちつくしているだけだった。そして「どうもありがとうございました。おじゃましました」と挨拶すると、彼女はふと「あの子は、小さい頃におじさんに会ったと、泣きじゃくりながら帰ってきて、どうしたの、どうしたのと聞いても、泣きやまなかったんですよ」と語った。

 その注記で『ノルウェイの森』のリアリティに言及した。当時の私の力量では、これくらいしか書けなかった。
 その後、幼女の性的虐待について知るようになり、ウランが「小さい頃におじさんに会ったと、泣きじゃくりながら帰ってきて、どうしたの、どうしたのと聞いても、泣きやまなかったんですよ」と母が言ったことを想起した。その時は無知で、この可能性について全く考えなかったことを悔やんだ。たとえ、知識があったとしても、何かできたとは思えないが(今でも)、“トラウマに関する知識が少しでもあれば”と思い出すたびに痛切に“あれは彼女の母が私に最も伝えたかったメッセージではなかったか? それを私は聞き流して、立ち去ったのではなかったのか?”と思わされる。
 『アイデンティティと時代』p.155では「幼なじみ」が繰り返す嘘について述べた。やはり、その時は分からなかったが、その後、『ノルウェイの森』第六章「お人形みたいにきれいで悪魔みたいに口のうまい」を読み、さらにスコット・ペック『平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学』(森英明訳、草思社、1996年)などから虚言症について学び、あれは一事例であると考えた。その後、知人の精神科医は彼女を「自己愛型人格障害」だと言った。いずれにせよ内奥の闇は深く井戸(イド)を思わされた。
 また、最優秀エリートの「永沢」が「官僚になろうなんて人間の九五パーセントは屑だもんなあ」と発言するが(第四章)、私が社会学科に進学した頃、雑談の中で合格者を多く出す進学校出身者から“法学部の友人や知りあいが大蔵省と日銀とどちらが偉いか、どちらに就職した方がいいか、さらに出世のためにはどういう女性とどういう結婚したらいいかなどと議論し、その中で、一人がごく普通の女子学生と恋愛中で、そんなことは損になるから止めろと忠告されていた”と聞かされたことを想い出した(これは『アイデンティティと時代』には書かなかった)。
 「猿みたいにわあわあ騒ぎまくるしつけの悪い中学生に絵を教えて一生を終えたくないんだよ」という美大油絵科の学生の発言(第十章)を読んだときは、私が塾で教えていた「悪ガキ」たちを想い出した(『アイデンティティと時代』p.89)。

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