「知識労働」、「精神的労働」の論-1960-80年代の日本で―
「知識労働」、「精神的労働」の論
脱工業(産業)化や情報化の進展に対して、マルクス主義から「知識労働」や「精神的労働」が提出された。前者では山口正之は『マルクス主義と産業社会論』(新日本新書、1969年)の後に『現代社会と知識労働』(新日本新書、1972年)を出版した。
後者について、芝田進午の以下の編著がある。
・『増補現代の精神的労働』(三一書房、1969年、第Ⅰ部「科学労働論」、第Ⅱ部「組織労働論」、第Ⅲ部「教育労働論」)
・芝田編『公務労働:現代に生きる自治体労働者』(自治体研究社、1970年)
・芝田編『教育をになう人々:学校教職員と現代民主主義』(青木書店、1980年)
・芝田責任編集「双書現代の精神的労働」青木書店(第3巻『教育労働の理論』1975年、第4巻『医療労働の理論』1976年、第5巻『公務労働の理論』1977年、第6巻『芸術的労働の理論』上下2巻〔「芸術的労働の社会学」1983年、「芸術的創造の理論」1984年〕。島田修一「社会教育労働」は第3巻に収録された。なお第1巻『科学的労働の理論』と第2巻『組織的労働の理論』は「近刊」とされていたが未刊と思われる。
島田は「セツルメントの扉は宮原研究室へ、宮原研究室の扉は農村へつながる」を実践してから、大学教員となった。「セツルメントの扉は宮原研究室へ、宮原研究室の扉は農村へつながる」は宮原研究室の伝統で、これに関して山田は「宮原教育学から学ぶこと:生き方の探究としての自己教育」(『社会教育・生涯学習研究所年報』第8号、2013年3月)で論じた。これは己の生き方に関わる自己教育のアクション・リサーチに位置づけられる。
山田は学生時代にアクション・リサーチはアメリカ的な方法論で、むしろマルクス、レーニン、グラムシなどを引用する山口や芝田を学ぶべきだと言われた。このアメリカ的な方法論という表現にはアメリカ帝国主義が含意されていた。しかし、これはレッテル貼りであり、その後、宮原を通してデューイ、レヴィンの研究方法論の意義を学んだ。
さらに、芝田の『人間性と人格の理論』(青木書店、1961年)や『科学=技術革命の理論』(青木書店、1971年)、また池上惇『財政危機と住民自治―経済民主主義と公務労働―』(青木書店、1976年)、基礎経済科学研究所編『人間発達の経済学』(青木書店、1982年、執筆者は池上と重森暁、二宮厚美、森岡孝二、柳ケ瀬孝三。基礎経済科学研究所は奥付で「働きつつ学ぶ権利をになう経済科学の民間教育研究団体」と紹介され、島恭彦監修『講座・現代経済学』全6巻、青木書店などを出版したとも書かれている)などを読んだが、やはり同様であった。確かに、人類解放の脈絡で全面発達を提唱するマルクス主義に立脚した「人格の理論」、「知識労働」、「精神的労働」などの解説に意義は認める。ただし、だからこそマルクス主義と異なる様々な思想や理論を摂取すべきであり、また同時に、社会主義体制における知識人迫害、その日本への影響の問題にも取り組むべきであるが、それは見出せなく、この点がアルチュセールたちとの相違である。
他方、宮原はマルクス主義を大いに摂取したが、マルクス主義者ではなく、他の思想も消化し独自の宮原教育学を構築した(『平和教育の思想と実践』参照)。しかも、信濃生産大学等で労働を通した自由な全面発達を追究した。例えば信濃生産大学元運営委員で農民運動全国連合会前代表の小林節夫は「農夫のように働き、哲学者のように考える」、「体の訓練と精神の訓練」(前掲『エミール』上巻p.364)が提起され、そして「肉体労働と精神労働の統一」が目指されたと述べた(2012年9月22日、長野県佐久一萬里温泉ホテル「宮原社会教育論と現代」研究フォーラム特別報告)。
信濃生産大学は一例であり、先述の「セツルメントの扉は宮原研究室へ、宮原研究室の扉は農村へつながる」の精神で学生、院生、出身者は各々の場で労働を通した自由な全面発達の実現に努めた。
附記:以上は「複合的暴力に対する自己教育の思想と実践に関する研究・Ⅲ」(『大阪教育大学紀要・第IV部門教育科学』 61(2)、2013年2月)の一部を加筆修正。
脱工業(産業)化や情報化の進展に対して、マルクス主義から「知識労働」や「精神的労働」が提出された。前者では山口正之は『マルクス主義と産業社会論』(新日本新書、1969年)の後に『現代社会と知識労働』(新日本新書、1972年)を出版した。
後者について、芝田進午の以下の編著がある。
・『増補現代の精神的労働』(三一書房、1969年、第Ⅰ部「科学労働論」、第Ⅱ部「組織労働論」、第Ⅲ部「教育労働論」)
・芝田編『公務労働:現代に生きる自治体労働者』(自治体研究社、1970年)
・芝田編『教育をになう人々:学校教職員と現代民主主義』(青木書店、1980年)
・芝田責任編集「双書現代の精神的労働」青木書店(第3巻『教育労働の理論』1975年、第4巻『医療労働の理論』1976年、第5巻『公務労働の理論』1977年、第6巻『芸術的労働の理論』上下2巻〔「芸術的労働の社会学」1983年、「芸術的創造の理論」1984年〕。島田修一「社会教育労働」は第3巻に収録された。なお第1巻『科学的労働の理論』と第2巻『組織的労働の理論』は「近刊」とされていたが未刊と思われる。
島田は「セツルメントの扉は宮原研究室へ、宮原研究室の扉は農村へつながる」を実践してから、大学教員となった。「セツルメントの扉は宮原研究室へ、宮原研究室の扉は農村へつながる」は宮原研究室の伝統で、これに関して山田は「宮原教育学から学ぶこと:生き方の探究としての自己教育」(『社会教育・生涯学習研究所年報』第8号、2013年3月)で論じた。これは己の生き方に関わる自己教育のアクション・リサーチに位置づけられる。
山田は学生時代にアクション・リサーチはアメリカ的な方法論で、むしろマルクス、レーニン、グラムシなどを引用する山口や芝田を学ぶべきだと言われた。このアメリカ的な方法論という表現にはアメリカ帝国主義が含意されていた。しかし、これはレッテル貼りであり、その後、宮原を通してデューイ、レヴィンの研究方法論の意義を学んだ。
さらに、芝田の『人間性と人格の理論』(青木書店、1961年)や『科学=技術革命の理論』(青木書店、1971年)、また池上惇『財政危機と住民自治―経済民主主義と公務労働―』(青木書店、1976年)、基礎経済科学研究所編『人間発達の経済学』(青木書店、1982年、執筆者は池上と重森暁、二宮厚美、森岡孝二、柳ケ瀬孝三。基礎経済科学研究所は奥付で「働きつつ学ぶ権利をになう経済科学の民間教育研究団体」と紹介され、島恭彦監修『講座・現代経済学』全6巻、青木書店などを出版したとも書かれている)などを読んだが、やはり同様であった。確かに、人類解放の脈絡で全面発達を提唱するマルクス主義に立脚した「人格の理論」、「知識労働」、「精神的労働」などの解説に意義は認める。ただし、だからこそマルクス主義と異なる様々な思想や理論を摂取すべきであり、また同時に、社会主義体制における知識人迫害、その日本への影響の問題にも取り組むべきであるが、それは見出せなく、この点がアルチュセールたちとの相違である。
他方、宮原はマルクス主義を大いに摂取したが、マルクス主義者ではなく、他の思想も消化し独自の宮原教育学を構築した(『平和教育の思想と実践』参照)。しかも、信濃生産大学等で労働を通した自由な全面発達を追究した。例えば信濃生産大学元運営委員で農民運動全国連合会前代表の小林節夫は「農夫のように働き、哲学者のように考える」、「体の訓練と精神の訓練」(前掲『エミール』上巻p.364)が提起され、そして「肉体労働と精神労働の統一」が目指されたと述べた(2012年9月22日、長野県佐久一萬里温泉ホテル「宮原社会教育論と現代」研究フォーラム特別報告)。
信濃生産大学は一例であり、先述の「セツルメントの扉は宮原研究室へ、宮原研究室の扉は農村へつながる」の精神で学生、院生、出身者は各々の場で労働を通した自由な全面発達の実現に努めた。
附記:以上は「複合的暴力に対する自己教育の思想と実践に関する研究・Ⅲ」(『大阪教育大学紀要・第IV部門教育科学』 61(2)、2013年2月)の一部を加筆修正。
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