講義のために0711

1.
 アイデンティティの形成・再形成……

 習得した“力”は、次に使わねばならない。そこにおいて新たなチャレンジが出てきて、新たなクライシスに直面する。

 変化が加速する時代において、これは尚更である。


2.同一性と自己変革

2-1.
 エリクソンと同時代のロバート・リフトンは「プロテウス的人間」を提起した*1。
 プロテウスはギリシャ神話の神で、様々に変身する能力を持つ。「プロテウス的人間」は同じであることではなく、変わることを基調とするという点で、アイデンティティvs.アイデンティティの混乱/拡散と相違している。エリクソンも変化・運動だが、リフトンはこの変化・運動により重点を置いている。

 前述したとおり、エリクソンは「同一性の核心的問題は(略)変化していく運命に直面しながら、同じもの、および、持続性をもち続ける自我の能力なのである。(略)十分に確立された同一性は、急激な変化にも耐えうる。」と考えた(『洞察と責任』p.90)

 リフトンの提起の後、エリクソンは『新たなアイデンティティの諸次元』の第一部でジェファソンを「プロテウス的な大統領」として捉える中で「プロテウス的人間」を論じ、また第二部の「アイデンティティ・クライシスのクライシス」という章でも「地政学的」激変を踏まえてプロテウスに言及し、「多元的(multiple)アイデンティティは悲劇的運命という問題になる」と指摘した*2。

「プロテウス的人格」には「一つの現実的で永続的(a real and lasting)なプロテウス」があり、それは「多様で捉えどころのない/うまく逃げる(elusive)いくつもの役割(roles)の中にある悲劇的で核心的なアイデンティティ」である*3。
また「自分を圧倒するような変化(overwhelming change)」に「適応」し、かつ「イニシャティヴ」をとるという人格であり、「アメリカは常にそのような人づくりを為してきた(America has always cultivated them)」と指摘する*4。

 これは1973年に提起された。それから40年以上を経て、「地政学的」激変、「圧倒するような変化」はますます大きくなっている。その中でアイデンティティは?

 エリクソンが繰り返す「悲劇」の意味を深く重く考えるべきであるが、半世紀ほど経た現在、その上で「プロテウス的」なアイデンティティについて考えねばならない。
 その要因についていえば、まず、平均寿命が長くなり、再形成の機会がより多くなった。自由の内包が豊かに、外延が広がり、自己決定の機会も増えた。社会システムの高度化により、一個人はいくつもの役割を担うようになった。高学歴化と高度情報化により、生きる意味や価値が多面的で重層的になった。
 さらに重大な問題は、自由の発展に応じて命令による統制は控えられる一方で心理操作が高度化し、これにより、自分がアイデンティティを形成していることと、そのように誘導されていることがますます絡み合うようになってきていることである。故に、絶えず自己を分析し、自分が望んでいるベクトル(心理社会的な方向と力)を点検し、自己を変革することが必要かつ重要である。



<共同学習>
2008年の受講生:
 中学時代の友達は「この世界は誰かによって監視されている。だから自分の意志だと思っても、実はそう思わされている……」と言ってました。自分は自分ではないのが、この社会ではないでしょうか。
山田:
 現代の高度情報社会は、確かに高度に情報が管理統制された社会で、この発言はメディア・リテラシーの問題意識に通じます。しかし、それでも尚、自分のあり方を求め続けることができるでしょう。
 歴史を遡れば、類似した感覚に、神や仏が見ているというのがあります。それによる規制もありますが、同時に励ましや守りにもなってきたでしょう。
 さらに、その異同について考えると、認識を深められます。

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